いまさら知ったショックと、mixiの限界と可能性 このエントリーを含むはてなブックマーク Clip to Evernote

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あああ……。

いまさら知りました。ううう。錚々たる面々です。どなたか行かれる方はレポートよろ(涙)。

アンビエンド・ファインダビリティ出版記念イベント@デジハリ

によると、速攻で一杯になってしまったようで、まぁ、気が付くのが遅いっていうか遅すぎなわけですが(苦笑)。


思えば、mixiが始まったころは、参加しているひとのアクティビティも高く、なにより人々の行動が、mixiの持つシステム上の制限によって制約されることもなかっただけに、大きな可能性も秘めていたし、こうした情報を知る場所としても、非常に有益だったと思うんですが、みなさんはどう感じてますか?

mixiが持つシステム上の制限は、確かにサーバ群の増強(スケールアウト)に必要なシステム投資を見積もり可能にし、計画的にスケールアウトさせていくためには必要なものだし、検索が十分にできないのも、ユーザーによって検索対象を絞らなければならない難しさや、また、それに多大のリソースが必要なことからいたしかたがない部分も理解はできます。

また、クローズドな部分と、「日記コメント記入履歴」やトップページに表示される自分の日記への新規コメントのアラートなどは、人々の発言に対する敷居を下げ、密なコミュニケーションの場の形成に大きな力を発揮しているのも確かです。

特に、“アルファ・ミク民”とでも言うべきユーザーの密度が高く、彼らの活動がシステムの限界に影響を受けることがなかったころは、非常にホットなネタに溢れていて、なにより皆が常に「最終ログイン5分以内」くらいのアクティビティを保っていたことによる連鎖反応で、まさにmixiの『熱い時代』を形成したといってよいと思います。

blogであれば、アルファブロガーと言われる人々の存在による、既存のメディアとはまったく別の新しい“メディア”としての側面があり魅力となっていますが、当初のmixiには間違いなくそういう特徴があって、blog以上に情報発信者との距離が近かったわけですから、ある意味、メディアとしてのmixiは、blog以上の可能性を秘めていました。

しかし、そうした時代が過去のものになってしまったのは、単に僕らが飽きてきたということや、原子炉で言うところの“制御棒”みたいな制約が加わったことで、冷めてしまったこともあるかもしれないけれど、それだけじゃないんじゃないでしょうか。

そもそもクローズドであったことを踏まえて、過去の情報資産を無駄にしないような仕組みを導入したり、時には外向きの情報発信手段として使える機能などによって、“アルファ・ミク民”が活動の場として使い続けたいするための施策が投入できなかったことが、彼らの活動を低下させてしまっていると思います。そうした人々の存在は、やはりコミュニティの魅力を大きく高めてくれますし、新たな情報発信者が育ってくる素地にもなります。

 mixiの発展は人類にとっての損失 - 僕はオカネモチになりたかったただけなんだ

にもあるのだけれど、『mixiの中にある情報は、見たくても見られない人が多くいる。』っていうことは、裏を返せば、mixiに情報を書いても、本当に読んでほしい人には読まれないっていうことなんですよね。

mixiは、当初の新しいコミュニケーションツールを作るという目標についてのすばらしい“成功”の時代を離れ、現在も人もアクセスも増え続けているというビジネス上の“成功”の上で商売をしておられるだけに、いまさら、いまのmixiを気持ちのうえだけでも壊し・否定をして、新しくより価値のあるものを作り出したいという方向を向ける状況ではなくなっているのだろうな、と思うと少々残念だと思います。

先日のうしくんの追放騒ぎなんかも、なんていうか、そういうコミュニティの価値を高めるという必要性を、運営サイドはあまり意識していないんじゃないかな、と思う事件だったと言えますし、デザイン変更について、自ら明確で、多くのユーザーが納得しうる指針を打ち出せず、ユーザーに伺いをたてている時点でも危うい気がします。


多少乱暴な論ではあるんだけど、

 コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場

にあるように、『肝心のコミュニケートする内容が薄い』という性質のやり取りの密度が高くなってしまっているのが、いまのmixiで、その傾向はどんどん強まってくるだろうなと思うとたいへん残念です。

mixiのコミュニティの多くでは、ほとんどの場合、議論らしき議論もできず、2ちゃんねるのほうがノイジーだけれどもよっぽど有意義な議論になっていることのほうが多いと感じます。

とはいえ、mixiを通しての出会いは、いまでも新鮮な驚きを与えてくれることも多々あるし、すばらしいのだけれど、それだけに、スタート当初にあった可能性の多くを失っているように思うと、さみしいものがあります。

そう、考えてみれば、あの【mixi版】無敵会議に多くの人々、まさに“アルファ・ミク民”というべき人々が集まったわけですが、そこには人々が大きな可能性を見出していたからにほかならないはずなんです。

既存のSNSという枠の中では、mixiはひとり勝ちの状態です。Yahoo! 360°などはそれを切り崩せるかと思ったものの、現在のサービス内容から見るとそれは難しい気がしますし、仮にユーザーを増やせたとしても、結局のところ、mixiが辿ったのと同じような限界は打破できない気がしますし、むしろより薄いコミュニティができてしまうような気もします。

もしかしたら、blogでもないSNSでもない、新しいサービスが限界を切り崩すのかもしれないですし、mixiが自ら既存のSNSの限界を打破するのかもしれないけれど、このままではなんかつまらないな、というのが僕のいまの気持ちなのです。

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