コンピュータとWebの進化と僕らの暮らし このエントリーを含むはてなブックマーク Clip to Evernote

いつもは、デジタルガジェットネタばかりのこのBlogだけど、今日は、ちょっと思うところがあって、僕らの大好きなMacやPC、スマートフォンなどのデバイスをインターフェイスにした、ソーシャルネットワークサービスなどの、さまざまな情報共有のサービスが溢れる21世紀の地球上の一部の人々の暮らしについて、昔のことを振り返りつつ、個人的な雑感を殴り書いてみたいと思う。

ここに書くことは、個人的に尊敬するある人物の私的な文章にインスパイアされていて、その文章に対する僕なりの回答のつもりで書きはじめてみることにしたい。

コンピュータとの出会いと'80年代の僕の生活

1982年ごろ、僕はマイコン、パソコンに出会い、その後、30年ものあいだ、趣味や仕事など、人生の大半の時間をコンピュータを身近に置いて過ごしてきた。

その間のコンピュータ(いまのスマートフォンも含む)の進化、電電公社の民営化と通信の自由化、携帯電話の普及、インターネットの登場という劇的な変化を目の当たりにし、その変化を当然のもののように受け入れ、たのしみ、メシの種にしてきたし、生活の中に組み入れてきた。

僕がマイコンに出会うより前、1977年に日本電気(NEC)の会長であった故小林宏治氏が提唱され、後にNECの事業を体現した「C&C(Computer & Communication)」という理念は、確実に現実になった。

一方、80年代のなかばを高校生として過ごしたころの自分の生活を思い返せば、好きな女の子に何かを伝えたいと思ったら、なんとか声をかけて直接話をするか、手紙を書くか、ご両親が電話に出ることを覚悟のうえで家の固定電話に掛けたりするしかなかった。当然、SNSみたいなものはないから、その子がどんな生活をして、何が好きで、何を考えているのかは、直接話をきかなければわからなかった。電子メールなんてないから、メールの返信がすぐにくるかこないかなんてことでイライラしたり、喧嘩になるなんてこともなかったんだよね。

待ち合わせだって、事前に場所と時間を決めておかなければ、会うことはできなかったし、仲間内のカップルでのちょっとした騒ぎから、ひとりが家から飛び出しちゃったみたいな事件があったときだって、なんだかんだで、友だち同士、家の電話や公衆電話、駅の伝言板を駆使して集まって、探したりしたもんだった。携帯電話もポケベルもなかったからね。

また、何か調べ物をするとなると、マイコンやパソコンのことであっても、書籍や専門誌などをあたるほかなく、書店に入り浸り、図書館に行き、チップのデータシートなどを求めて秋葉原に通った。僕は当時、名古屋に住んでいたので、夏休みと冬休みに母の実家のある東京にくると、必ず秋葉原と渋谷の東急ハンズには通ったもんだった。

僕はカシオのマイナーなFP-1100というパソコンを持っていたのだけど、その情報をまとめている有志の方々にコンタクトをとって(連絡先は雑誌とかに投稿されていたのかもしれないけど、どうして知ったかはよく覚えていない)、コピーされた手製の資料などを譲ってもらったりもしたし、当時FP-1100の情報や商品が集結していた秋葉原のMKショップにも通ったりした。

大学時代になって、出入りするようになったアスキーの雑誌の現場は、まだまだ出版社だからこそ得られる情報で溢れていた。そのころの多くの読者にとっては、雑誌が印刷され、配本され、書店で手に取るときに初めて知る情報ばかりだった。

僕の通った中学には、めずらしいことにワンゲルがあり、鈴鹿山脈の山に登っていたころ、天気の様子を知るには、出発前の気象状況を把握しておくことはもちろん、山に入ったあとも、ラジオの「気象通報」という天気図をかくのに必要な情報をひたすら読み上げる番組を聴きながら天気図を起こし、そこから自分たちで判断するほかなかった。当然、携帯電話もないので、いま以上に入山届を出すことは大事なことだった。

好きな音楽や映画のことも、友だち同士で情報交換したり、ラジオで聴いたのをきっかけに新しい曲に出会ったり、「FMfan」や「ナプガジャ(名古屋プレイガイドジャーナル)」、「ぴあ」などを隅から隅まで読むほかはなかった。

高校生や大学生になって、好きな女の子を連れて行く店をどうしようか考えるときだって、「食べログ」とかはないから、雑誌やムックで当たりをつけるか、仲がよかった先生や先輩に教えてもらうか、自分の勘を信じてエイヤーで決めるほかなかった。だいだい、高校生や大学生だと、あたりをつけた店を自分で下見で行ってみて決めるみたいなのも難しいから、余計に困難だったと思うけど、それはそれで愉しかった。

当時も、いまとはまったく同じく、ひとに与えられた時間は1日24時間でしかなかったし、GoogleもWikipediaも、FacebookもTwitterもなかったけれど、その分、目の前のモノや、目の前にいる誰かに対してより真剣であったし、その機会を大事にしていたようにも思う。むしろ、直接必要としていない情報に関わっている時間もなかったし、目の前に誰かがいるのに、そこにいない誰かとコミュニケーションをとるなんてことは考えられなかった。いまのように、お互いの行動が筒抜け状態で、それによって自分や誰かがヤキモキしたりとか、そういうこともなかったしね。

じゃあどうすべきか、っていう答えはないけれど

時は経ち、iPhoneをはじめとしたスマートフォンによるモバイルインターネットの環境が当たり前になり、GoogleやFacebookもある21世紀。この間の変化によって、失ったものもあるけれど、得られたものも当然多い。昔より、世界は狭くなり、発表されたばかりの新製品の情報も、旧来のメディアを介さなくても世界のどこにいてもネットさえあれば知ることができるし、個人が発した言葉が、人々を動かし、国を動かすことだってある。

個人的にも、ちょうど一昨日、六本木ヒルズの森美術館で開催されていた「メタボリズムの未来都市展」の最終日、それも終了の2時間ちょっと前、たまたまTwitterで拝見した、Creative Clusterの岡田さんの「今日、最終日のメタボリズム展を急いで見る。」というツイートが流れてきたお陰で、最終日であることに気づき、自転車を飛ばして、なんとか最後の1時間半で観ることができたということがあった。

それぞれが生活や考えを「ダダ漏れ」していることで起こるチェインリアクションもあるにはある。

そうはいっても、僕らの個人的な生活を考えたとき、濃密な情報の共有やコミュニケーションが、かならずしも生活の豊かさに結びつくとは限らないのだ、ということには、みんな気づいていると思う。どんなにおもしろくたって、コンピュータもスマートフォンもWebもただの「道具」でしかない。それをどう使って、愉しく豊かに過ごせるかは僕ら次第だ。

これからも、僕はこのBlogや仕事を通じて、コンピュータやWebのことに関わりのだけれど、コンピュータやネットの向こう側かこちら側かを問わず、そこにいる誰かに真剣に相対していきたいし、ひとひとつのモノやサービスに込められたおもいや、それのもたらす意味をきちんとみていきたいなと思う。


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